【散策】臼杵駅から臼杵城跡に寄り道をして、フェリー港へ歩いてみた (大分県臼杵市)

■0220・2022年10月10-14日.大分/高松4泊5日-5

ご訪問下さいまして、誠にありがとうございます。
乗り物系・温泉・登山などの旅食事系のブログ、シクタン.comと申します。

フェリーで四国へ渡ろうとやって来た大分県臼杵。
出航の時間まで少し余裕があったので、臼杵城址をちょっとだけ散策してみました。

※記事中[拡大]または◎を記している画像は、クリック・ドラッグすると拡大します。

ここは、大分県のJR日豊本線/臼杵駅です。

駅のホームで育ったカボスを無料配布中!
カボスは臼杵市の市木なんです。

これはありがたい。
ひとつ頂いちゃいました。

[拡大]

これから四国へ…
愛媛県八幡浜へ向かうフェリーに乗ります。

フェリーのりばへは、1.1km/徒歩14分ほどです。

[拡大]

大分県の東海岸に位置する臼杵市。
1558年~70年の永祿年間、大友宗麒麟が臼杵城を築城以来、ポルトガル人との交易で繁栄。
国宝臼杵石仏や醤油の製造で有名で、江戸時代の町割りがそのまま町並みとして残っています。

[拡大]

少しだけ時間があるので、臼杵城址をぶらぶらしようと思います。

駅前広場にある臼杵石仏(レプリカ)。
臼杵には、古園石仏大日如来像に代表される国宝臼杵石仏(磨崖仏)があり、臼杵駅又は大分駅から路線バスで行くことができますよ。

バスどこ大分 (大分県路線バスの経路検索サイト)

では、歩きましょう。

臼杵市のマンホールは‥
臼杵湾に漂着したオランダ船リーフデ号と、市の木カボスがデザインされています。

臼杵市内を流れる二級河川、海添川。
GoogleMapでは、万年渓と記されています。

臼杵駅から5分ほどで‥
臼杵城址(卯寅口)に着きました。

卯寅口は城の裏口にあたり、搦手口とも呼ばれました。

臼杵城跡の位置は、☝コチラ。

[拡大]

=臼杵城址(臼杵公園)案内図=
ぐるりと一周してみたいのですが‥
時間の都合上、本丸跡周辺だけ散策します。

井戸の跡‥
井戸丸と言うそう。

=卯寅口門脇櫓=
外装は漆喰下見張りで屋根は切妻屋根の櫓で、江戸時代に幾度か建て替えられたようです。
後の明治6年、廃藩置県に伴って臼杵城は廃城となり、主要な歴史的建物のほとんどが取り壊されましたが、卯寅口門脇櫓は取り壊しを免れ、今もその姿を残しています。

赤い鳥居が並ぶ参道は明治以降に整備されたとか。

=卯寅稲荷神社=
大友宗麟公が築城の際、卯寅口に建立した神社です。
今は港町商店街の商売繁盛の神として祀られています。

商売してないけど‥
パンパン.礼。

=鉄門桝形石垣=
城の心臓部にあたり、防衛的にも格式的にも高さが求められたこの石垣は、臼杵城の他の石垣より大きな築石が用いられているのが特徴です。

城址から臼杵の街(山側)を一望。

[拡大]

パノラマモードでカシャ。

=空濠=
本丸の守りを強固するため、二の丸と本丸の間に作られました。

=本丸跡=
本丸・二の丸は臼杵公園として市民の憩いの場となりました。
春はサクラの名所として有名です。

=天守櫓跡=
かつては外観3層の内部が4階の天守櫓がこの場所に建っていました。

天守跡からの眺め。

臼杵城は築城当時、丹生嶋と呼ばれる孤島上の城郭でした。
周囲の海が天然の要害となり、堅固な守りを誇っていたのです。

周囲は埋め立てにより、海は離れています。

あっ!
あれは‥

ズームしてみましょう。
九州と四国を結ぶ宇和島運輸/あけぼの丸が見えますよ。

=洲崎口避難ループ橋=
ぐるぐる渦巻き状のループ橋。
津波災害時の避難路なんだとか。

おぉー
これは面白い橋だ。

再び、梅添川を渡り‥

臼杵港に着きました。

フェリーに乗る為にやって来た大分県臼杵。
今回は時間の都合で臼杵城址を半分だけ散策しましたが、たくさんの見どころがある街なので、時間をとってゆっくり散策したいですね。

ご覧下さいまして、誠にありがとうございました。