■0172・2022年1月4-5日 愛知県半田.1泊2日-5

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愛知県知多半島北部の半田にやって来ました。
半田は江戸時代から醸造業や海運業で栄え、商業や製造業が発展した街です。
今もところどころにその面影が残る半田の街を歴史散歩してみましょう。
※記事中[拡大]または◎を記している画像は、クリック・ドラッグすると拡大します。

ここは、愛知県半田市です。
天然温泉・健康ランド&ホテル.みどり館 に1泊しました。
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今日は、JR半田駅周辺を散策しますよ。

では、歩きましょう。
半田市のマンホールは、市木/黒まつ・サツキを描き、中央に市章がデザインされています。
半田運河

=半田運河=
早くから開けた海運により知多半島の産物である酒や酢などが江戸や大阪などに運ばれていました。
その醸造業に代表される黒板囲いの蔵が半田運河沿いに今も健在です。

半田運河沿いには黒板囲いの醸造蔵が立ち並ぶことから、蔵の街‥と呼ばれ、江戸時代の面影を今日に残しています。

昭和32年12月築のこの建物‥
伊勢湾台風(昭和34年)の時、近所の方々がこの建物の梁丸太につかまって命をつないだそうです。
その丸太を残し、マツシマ建築が減築リノベーションしました。

半田運河が位置する衣浦港は古くは衣ヶ浦といい、天然の良港であった事から江戸時代には多くの千石舟が行き交っており、醸造業が盛んとなり、半田運河より酒、酢などが江戸を中心に運び出されていました。

=蔵のまち公園=
半田運河のほとりにある公園。
運河を見ながらピクニック気分が味わえます。

江戸時代の面影を残す醸造蔵が残っていた場所は‥

醸造蔵が解体されて、公園の一部となってしまいました。

我が国を代表する酢メーカー‥ミツカンのマークを表示した黒蔵が運河沿いに並んでいますね。
半田運河の位置は、☝️コチラ。
ミツカン関連施設

=MlZKAN MUSEUM=
ミツカンの酢づくりの歴史・醸造の技術・ものづくりへのこだわり、食文化の魅力などを、伝統・革新・環境を大切に考え、次世代へ伝えてゆく施設です。

ミツカン本社の敷地の一角。
ここには‥

大正14年築、中埜銀行がありました。
中埜銀行は昭和13年に伊藤銀行(三菱東京UFJ銀行)に営業権が譲渡され、建物は後にミツカン研究棟として使用されました。

大正14年築の建物は解体され、跡地は’中埜銀行跡広場’として整備されました。
モニュメントの石の部分は、建物外壁から再利用しています。
MIM (MlZKAN MUSEUM)の位置は、☝️コチラ。
小栗家住宅

=小栗家住宅=
国の登録有形文化財に登録されている明治初期に建てられた建物。
1階部分は観光案内所になっており、建物内も見学できます。
小栗家住宅の位置は、☝️コチラ。
旧中埜半六邸

次は、立派な門構えのお屋敷です。
ここは‥

=旧中埜半六邸=
江戸時代から代々、半田の発展に貢献した名家、ミツカン創業家である中埜家9代目の中埜半六の旧邸宅(明治22年築)です。

=半六庭園=
旧中埜半六邸の庭園は、回遊式の日本庭園。
往時には、半田運河から海水を引き込み、潮の干満に合わせて泉水の水面が上下した潮入庭園だったと推測されています。
業葉神社

=業葉神社=
ナリハジンジャといいます。
時間の都合でここから‥
パンパン.礼。

お隣りは、斐芽の祠です。
安産の神様みたいだけど‥
パンパン.礼。
業葉神社の位置は、☝️コチラ。
國盛 酒の博物館

=國盛 酒の博物館=
弘化元年(1844年)創業の國盛酒造。
伝統の道具や資料を保存し、最新の技術とてらしあわせながら酒造りの歴史を映画で紹介します。
試飲コーナーや原酒の販売も行っています。
國盛 酒の博物館の位置は、☝️コチラ。
紺屋海道

=紺屋海道=
江戸時代、交通の要衝として人々が行き交う賑やかだった街道で、今なお当時の面影が残っています。
右の建物は、創業明治八年(1875年)の煎餅屋さん‥米市商店です。


=秋葉神社=
防火の神・正一位秋葉神社(静岡県)をお祀りした祠です。
256年前の明和3年(1766年)に大火があり、住民に強い防災意識が芽生えたことから建てられました。
秋葉山の祠は四カ所あります。

=地蔵堂広場=
この場所に地蔵堂があったとされた場所です。
地域の行事が行われ、山車の集結所にもなり、地元の人々に場所であったと言われています。

黒壁の古い建物が、歴史を偲びます。
紺屋海道の位置は、☝️コチラ。
半田赤レンガ建物

=半田赤レンガ建物=
平成26年度に改修工事を行い、平成27年度にリニューアルオープンしました。
中に入ってみましょう。

半田赤レンガ建物は、明治31年(1898年)、明治建築界の巨匠、妻木頼黄の設計により、カブトビールの製造工場として建造されました。
レンガ建物としては全国屈指の規模を誇ります。
この建物の存在が明治期のビール産業黎明期に4大ビールメーカーに立ち向かった企業家精神を今に伝えています。


旧カブトビール工場常設展示(200円)を見学しましょう。
館内撮影禁止なので、画像はありません。
申し訳ございません。
■常設展示‥200円
半田赤レンガ建物内は、貸しスペース(有料)として利用できます。

カブトビールは、昭和8年7月に大日本麦酒株式会社(現アサヒ・サッポロ)と合併し、昭和18年の企業整備令適用で、ビール製造は終了し、半田工場は閉鎖されました。
以後、昭和19年・中島飛行機製作所の衣糧倉庫。
昭和25年3月より日本食品化工のコーンスターチ製造工場の一部。
平成8年3月に半田市へ土地と赤レンガ倉庫を譲渡され、今に至っております。


赤レンガ建物北壁面には、黒くなった部分があります。
これは、建物北壁には第二次世界大戦中に受けた機銃掃射跡です。
戦争の記憶を今に伝えています。
半田赤レンガ建物の位置は、☝️コチラ。
旧中埜家住宅

=旧中埜家住宅=
中埜半六家別邸として、明治44年(1911年)に建てられた洋館です。
国指定重要文化財であります。
旧中埜家住宅の位置は、☝️コチラ。

=知多半田駅=
半田市内は名鉄も走っています。
JR武豊線と半田駅

JRのガード。
高さ1.2mしかありません。
JR武豊線は高架化されるので、このガードもなくなってしまうかも。

大正11年9月築のJR半田駅舎は、解体されてしまいました。

=半田市鉄道博物館=
駅の隅に小さな鉄道博物館があります。
見学したかったのですが、開館は、第一・第三 日曜日(1月は第二・第三)だけみたい。
こりゃ、残念!

=C11形蒸気機関車265号機=
昭和19年4月から昭和45年10月まで活躍し、武豊線のSLさよなら列車を牽引しました。
市民の強い要望から保存が決まり、半田市民ホールに展示された後、この地に移設されました。

後ろからもカシャ。
手前グルグル巻きの物体は‥
スパイラルと言う通票受器です。
鉄道の単線区間では衝突を防ぐ為、タブレットを持った列車が走れることになっています。
これをタブレット閉塞と言います。
タブレットはキャリアと呼ばれる輪がついた収納ケースに入れて列車に載せていました。
タブレットの入ったキャリアは、駅で乗務員と駅員が手で受け渡しするのが基本ですが、通過駅での受け渡しは、走っている列車から乗務員がキャリアをスパイラルめがけて引っかけ落としたのです。
時代の流れで今、タブレット・キャリア・スパイラルを使う鉄道はなくなってしまいました。

=JR半田駅=
令和9年度連続立体交差事業完了予定に向けて、令和3年6月6日から仮駅舎が供用されています。
JR半田駅の位置は、☝️コチラ。

歴史を感じる木造ホーム上屋。

Y字柱。
高架化されたら、解体されてしまうんだろうな。

100年以上活躍した、全国で一番古かった跨線橋(明治43年築)です。

旧駅舎供用時代は、ホーム上屋が跨線橋を囲んでいました。
今は上屋が撤去されています。


旧駅舎解体に伴い、跨線橋も閉鎖されました。
中には入れません。
平行四辺形の窓。
緻密な設計ですな。

この跨線橋は、新駅近くに整備される公園に移築保存されるそうです。
駅にあるのが見れるのは、今のうちですよ。
江戸時代から醸造業や海運業で栄え、商業や製造業が発展した半田。 今は静かな街ですが、かつての面影がところどころに残っていて、当時を偲ぶことができます。 本記事で巡ったところは、JR半田駅・名鉄知多半田駅から徒歩圏内なので、ぶらりと歴史散歩してみてはいかがでしょうか。 ➡半田市観光ガイド(半田市観光協会)
ご覧下さいまして、誠にありがとうございました。