【散策】山陰海岸ジオパークのジオスポット、鳥取城跡(久松山)を歴史散歩

■0163・2021年12月20-24日 長崎/鳥取.4泊5日-17

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急峻な地形を持つ鳥取県鳥取市に聳える久松山には、戦国時代の山城を起源にした鳥取城がありました。
その防御性の高さや、山頂からの優れた眺めから「日本(ひのもと)にかくれなき名山」と評され、織田信長が「堅固な名城」と讃えた鳥取城。
山陰海岸ジオパークのジオスポットとなった鳥取城跡(久松山)を、歴史散歩してみましょう。

※記事中[拡大]または◎を記している画像は、クリック・ドラッグすると拡大します。

只今、鳥取県鳥取市・鳥取温泉/しいたけ会館対翠閣に滞在中です。

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鳥取城に行ってみましょう。
宿から、3km/徒歩40分ほど。
鳥取駅から、2.5km/徒歩33分ほどです。

= 路線バスで行く方法 =
鳥取駅前の鳥取バスターミナルから、100円循環バスくる梨 緑コースに乗車。
仁風閣・県立博物館前で下車すると、鳥取城址の入口に行けます。

=袋川=
鳥取市中心部を流れる一級河川です。
市街地の部分は、江戸時代初期の鳥取藩主/池田光政によって開削された人工の川で、城下町/鳥取を守りました。

=国道53号線=
岡山県岡山市から鳥取県鳥取市へ瀬戸内海側から日本海側を貫く、総延長146.6kmの一般国道です。

=箕浦家武家門=
二千石を有する鳥取藩の中でも上級武士・箕浦家の屋敷にあった門です。
現在、鳥取内に残る唯一の武家長屋門の遺構として貴重な事から、鳥取市指定保護文化財に指定されています。

=鳥取県庁=
現庁舎は9億7千万円の建設費をかけ、昭和37年に建てられました。
地上7階・地下1階の本庁舎および講堂・議会棟をL字型配置されています。

鳥取県庁の題字。
日本画家/菅楯彦氏によって、現庁舎が建てられた昭和37年に書かれたものだそうです。

鳥取城跡/水堀に着きました。

=鳥取城跡/久松山=
急峻な地形を持つ久松山は、戦国時代の山城を起源にした城跡で、山陰海岸ジオパークのジオスポットにもなっております。

=擬宝珠橋=
大手橋にあたる中の御門に向けてかけられていた全長約36m・全幅約6mの橋で、今から400年前の元和7年(1621年)に創建されました。
今の橋は、平成30年に復元されたものだそうです。

=中の御門=
枡形を備える複門で二の門は櫓門となっており、慶長の大改築以後、大手門とされました。
当時、藩主が江戸出府中は閉ざされ、藩主在城の時は門の扉は開かれたそうです。

中の御門の奥は、丸ノ内跡の一部です。
復元工事を行っており、この先は進めません。

反対側から見た中の御門。
では、戻りましょう。

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鳥取城のある久松山‥
これから、史跡を見学して、歴史を学びますよ。

国指定史跡「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」にようこそ!(鳥取市公式サイト)

鳥取城の跡地は、久松公園となっております。

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=鳥取城跡(久松公園)=
久松山の山麓、山下ノ丸の案内図。
城跡は、山下ノ丸と山上ノ丸とふたつのエリアがあります。
まずは、山下ノ丸から散策しましょう。

おっ!
立派な洋館がありますよ。

=仁風閣=
鳥取池田家の第14代当主.池田仲博侯爵の別邸として、明治40年に建てられた洋館です。

=西坂下門=
大政奉還のあった154年前の慶応3年(1867年)に創建された門です。
昭和50年の台風で崩壊してしまった後、復元されました。

鳥取城には天主閣など残されていませんが、石垣がみごとです。
この石段を登ると‥

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おぉ~
眺めが良いですぞ。

パノラマモードでカシャ。

=二の丸跡=
江戸時代前期、藩主が住む御殿があった場所です。

=三階櫓跡=
二の丸の南西隅、市街地に面して建っていた3層3階の隅櫓があった場所です。

三階櫓跡からは、鳥取市内が一望です。

=菱櫓跡=
この台上には、平面が菱形の2層2階の櫓が建っていました。

おぉー!
なんだかマチュピチュみたいだ。←(行ったことないけど)

=表御門跡=
左右の石垣の間に、御門がありました。
先へ進んでみましょう。

鳥取城の石垣は、池田長吉の時代に築かれました。
さて、この石垣をよく見ると‥

円形の穴が開いている石があります。

「お左近」の手水鉢と呼ばれるもので、この石を石垣に築きこんだところ、難工事だった三階櫓は無事完成したと言う伝説が残されています。

久松山の傾斜に石垣が築かれています。
よ~く見ると、右側に丸くなっている部分がありますね。

=巻石垣=
215年前の文化4年(1804年)、ここが崩れそうになったので、球状に補強され巻石垣と呼ばれるようになりました。
こうした形状の石垣が城に用いられる事例は鳥取城以外になく、貴重であることから復元されました。

さて、この後は、あの山の山頂(久松山)へ向かいますよ。

鳥取城/山上の丸へ向かう中坂コースの入口です。

山上ノ丸(久松山山頂)に行けるみたいなので、登ってみましょう。
中坂稲荷の鳥居から登山道(中坂コース)に入ります。

県庁所在地の市街地でもクマが出るみたい。
これは、注意しなくては‥

少し登っただけで、絶景!

=八幡宮跡=
ここに武運の神である八幡様を祀っていました。
今は建物はなく、石垣が当時を物語っています。

ハァハァハァ‥
急な石段が続きます。

=中坂稲荷=
中坂コースの中間、五合目です。
三日三晩で江戸と鳥取を往復したと言う伝説をもつ狐をお祀りしています。

旅の安全を祈願して‥
パンパン.礼。

七合目。
五合目から七合目にかけて、クマ目撃情報が多発しているそうです。

おっ!
空が開けてきたぞ。

=山上ノ丸(二ノ丸跡)=
樹林帯が終わると、休憩所があります。
この休憩舎は、久松山ロープウェイの山上駅の施設でした。

昭和44年に鳥取城ロープウェイ(株)と言う民間企業が運営したロープウェイですが、利用客の減少に伴い、昭和51年に廃止されたそうです。

=山上ノ丸(本丸跡)=
久松山山頂部を数段に切り開いて構築し、その一段高い場所にあたるこの地が本丸となりました。

=車井戸=
池田長吉が419年前の慶長七年(1602年)から行った場内大改築の時に掘った井戸と伝えられています。

鳥取市街地の反対側15km先には、標高252mの本陣山が見えます。

この山は、羽柴(後の豊臣秀吉)が鳥取城を兵糧攻めにした時、本陣とした山で太閤ヶ原とも呼ばれています。

この階段を登ると‥

鳥居から35分。

久松山(標高263m)の山頂です。
ここに、天主櫓がありました。

山頂から南を眺めると‥
鳥取の街が一望です。

西の方角です。

おぉ~
これは、すばらしい!

ズームしてみましょう。

周囲18km・面積が6.9平方kmの日本最大の池である、湖山池が見えます。
池なのですが、湖である富士五湖/山中湖よりも大きいそうです。

日本海と鳥取空港も見えます。

鳥取港です。
松葉がに漁で有名で、賀露地区には海産物店や食事処が多くあります。

北の方向‥
ズームすると‥

日本海の海岸線沿いに、鳥取砂丘が見えます。

さらにズームしてみましょう。
砂が盛りあがっているのがよく見えますね。
砂の高さは40m以上あるそうですよ。

山上ノ丸(本丸)からの眺め‥
鳥取市中心部が一望です。

うん、いい眺めじゃ。
殿様になった気分。

ズームしてみましょう。
ビルの谷間に鳥取駅が見えます。

そして、筆者が宿泊している、しいたけ会館対翠閣も見えますよ。

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パノラマモードでカシャ。

では、下山しましょう。

足元が悪いです。
以前、箱根の山で下山中に転倒し、骨折したことがあるので、慎重に歩きます。

鳥取城跡(山下ノ丸)が見えてきまして‥

無事に下山しました。

=仁風閣=
鳥取池田家の第14代当主.池田仲博侯爵の別邸として、明治40年に建てられた洋館です。

仁風閣は嘉仁皇太子(後の大正天皇)が鳥取を行啓された時の宿舎として使われました。

玄関の反対側です。

白亜の洋館‥
まるで、私の自宅みたい‥←(妄想)

あのテーブルで紅茶を片手に、ティータイムしたいざます。
私、英国出身なもので‥←(大嘘)

=宝隆院庭園=
第11代鳥取藩主/池田慶栄の急逝により、17歳にして未亡人となった宝隆院を慰めるため、第12代/池田慶徳が158年前の文久三年(1863年)に造営した
御殿の庭園です。

嘉仁皇太子(後の大正天皇)がお手植えされた松です。

=鳥取県立博物館=
鳥取県民の教育及び文化の発展に寄与するための施設として、昭和47年10月1日に開館した総合博物館です。

=ふるさとの歌碑=
うさぎおいしかのやま~♪
こぶなつりしかのかわ~♪

この名曲は、鳥取市出身の音楽家/岡野貞一先生によって作曲されました。

羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の兵糧攻めの舞台になり、江戸時代には姫路城を築いた池田輝政の孫・光政が鳥取藩32万石の平山城として拡張整備した鳥取城。
鳥取駅からバスか徒歩30分強で山麓へ行くことができます。

城址は公園として整備されています。
ただし、階段が多いので足の悪い方は大変かもしれません。
さらに、山頂へは登山道となるので、歩きやすい靴で行くことをオススメします。

ご覧下さいまして、誠にありがとうございました。