■0433・2025年4月13日-18日・小笠原5泊6日-02

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今回も御船印ネタなのですが、小笠原海運の御船印はおがさわら丸に乗らないと入手できず、5泊6日の旅となるので、1週間の休暇をとって小笠原に行ってきました。
本記事は、おがさわら丸乗船記往路航海後編です。
※記事中の価格等は、2025年4月現在のものです。

東京から南へ1.000km!
小笠原海運/おがさわら丸に乗って、小笠原諸島の父島へ向かっております。

航海スケジュール。
この記事では船旅2日目、鳥島から父島までの乗船記 となります。
東京竹芝.11:00
↓
洲崎.14:10
↓
伊豆大島.14:50
↓
三宅島.16:10
↓
御蔵島.16:30
↓
八丈島.18:50
↓
青ヶ島.20:05
↓
ベヨネーズ列岩
↓
鳥島.1:20
↓
北之島.9:00
↓
婿島列島
↓
西島.10:30
↓
父島二見.11:00
▼目次
おがさわら丸の船内設備

おがさわら丸の船内図。
船内設備等については別記事にまとめました。

〈関連記事〉
【船旅】小笠原海運/おがさわら丸乗船記 船内編
おがさわら丸船内の記事は、☝コチラ。
東京→父島24時間の船旅・1日目
小笠原海運/おがさわら丸(東京→父島)の前編記事は、☝コチラ。
ご覧頂けましたら幸いです。
東京→父島24時間の船旅・2日目

4:50
皆様、おはようございます。
日付が変わりまして、2025年(令和7年)4月14日でございます。
東京竹芝から17時間50分。
昨日11:00に東京竹芝を出航したおがさわら丸は、未明にベヨネーズ列岩、鳥島沖を通過し、
父島手前277km手前の地点を航行中。
16分ほど遅れているみたい。

おっ!
昨日は閉鎖されていた外部デッキが立ち入りできるようになりましたよ。

夜明けの海。
明るくなってきました。
日の出を期待したのですが‥
あい変わらず天気はどんよりしています。

6:42
東京竹芝から19時間42分。
おがさわら丸は航海速力23ノット(42km/h)で航行中。
父島まで残り197kmです。

昨日は時化ていましたが‥
比較的穏やかにになり、揺れがなくなりました。
晴れていればボニンブルーに染まる海が一望なんですが、あいにくの天気では海は灰色です。

ひたすら続く海。
まわりには何もありません。
小笠原航路の歴史

船内の文庫本コーナーにあった小笠原協会創立五十周年誌。
一部を抜粋して、小笠原への交通の歴史を見てみましょう。
明治丸

明治政府が英国ネピア造船所に発注し、1874年(明治7年)に竣工した明治丸。
翌1875年(明治8年)、小笠原諸島が英国との領有権問題が生じた際に、日本政府の調査団を乗せた明治丸を派遣。
英国艦/カーリュー号より早く小笠原に到達し、小笠原諸島はわが国の領土となったのです。

明治丸は国の重要文化財となり、東京海洋大学にて保存。
キャンパス内にある明治丸海事ミュージアムで見学が可能です。
明治-大正-昭和前期の小笠原航路

さて、小笠原航路の開設は1876年(明治9年)。
郵便汽船三菱会社によって小笠原と本土が結ばれるようになり、帆船も使われていたと言うから驚きです。
1920年(大正9年)の第一次世界大戦でドイツが敗れ、ドイツ領だった南洋群島が日本の委託統治領となった事から、父島経由サイパン航路が開設されます。

日本郵船が中国航路用に建造した船、芝罘丸(チーフー丸)1934t、昭和10年、芝園丸と改名します。
1940年(昭和15年)、東京と小笠原を結ぶ定期航路は、この日本郵船/芝園丸が年間26便を運航。
そのうち6便は硫黄島まで延航していたと言います。
戦況が悪化すると、緊急疎開者輸送.第1/2/5/8次便として4便運航。
1945年(昭和20年1月)、芝園丸は小笠原から東京へ向かう途中に鳥島沖で撃沈され、小笠原航路は廃止のやむなきにいたります。

太平洋戦争中、本土防衛前線基地となった小笠原。
島民は総力を挙げて軍に協力しましたが、1944年(昭和19年)、戦況が緊迫するのに伴い軍は強制引揚命令を発令。
島民は米軍の占領前に本土へ疎開する事になります。
小笠原諸島からの緊急疎開者輸送、第四次便として配船された能登丸。
船内はぎゅうぎゅう詰めの蒸し風呂状態で、油やペンキの匂いなど異臭が充満し、船酔いが続出。
昭和19年()7月1日に出航し、横浜または東京に7月4日に着いたそうですが、航行中に敵の潜水艦接近の情報が入ると、甲板に集合させられ、救命具を着用したまま、恐怖と不安に脅かされた時間を過ごし死を覚悟しなければならない航海だったそうです。
1945年(昭和20年)8月15日、終戦。
終戦後、小笠原諸島は米国の統治下となりました。
小笠原海運発足から現在

1968年(昭和43年)、小笠原諸島は日本政府に返還されます。
1969年(昭和44年)、東海汽船と日本郵船の折半出資による小笠原海運株式会社が創業。
1972年(昭和47年)、小笠原航路の定期運航が始まり、椿丸(1,016t)が就航。
椿丸は、鹿児島十島航路に就航していた第一照国丸を東海汽船が購入した船で、小笠原海運は東海汽船から定期傭船をし、1972年から1973年の2年弱就航。
当時の所要時間は44時間でした。

小笠原航路定期運航開始から1年‥
小笠原海運は、関西汽船.沖縄航路に就航していた浮島丸を購入。
父島丸(2,616t)と改称し、1973年~1997年の6年間活躍。
椿丸より6時間短縮され、所用時間は38時間となりましたが、時間通り着く事は稀だったとか。

中古船で頑張ってきた小笠原海運ですが、いよいよ小笠原航路専用の新造船が就航します。
初代.おがさわら丸(3,553t)です。
1979年~1997年就航・所用28時間。
太平洋の外洋でも航海速力20.7ノット(時速約38キロ)を維持する為、強力なエンジンを搭載し、所用時間は28時間と大幅に短縮し、海が荒れても揺れないようにと、フィンスタビライザー(横揺防止装置)を装備。
当時としては革新的な船で、小笠原航路で18年間活躍しました。
後のおがさわら丸の基礎となっています。
引退後はフィリピンのスルピシオラインズ社に売却され、Princess of the Caribbeanに改名。
セブ航路で活躍後、中国で解体されました。

筆者が小笠原に行きたいと思ったのは30年ほど前、初代おがさわら丸の時代‥
当時購入したガイドブックに掲載されていた初代おがさわら丸の船内図です。
大部屋雑魚寝の2等が多く占めていますね。

ちょっと、余談ですが‥
東海汽船/すとれちあ丸(3,708t)です。
初代おがさわら丸の準姉妹船として、1年早い1978年に東京-八丈島航路に就航しました。
おがさわら丸がドック入りした時、代船として小笠原航路に就航した事もあります。

さて、小笠原航路にも船舶大型化の時代がやって来ます。
2代目.おがさわら丸(6,700t)
1997年~2016年就航・所要25時間30分。
3,553tの初代おがさわら丸から6,700tと船舶大型化が実現され、最速の内航貨客船としてデビューしました。
小笠原航路で活躍した19年間で竹芝と父島を1,195往復・距離にして約240万km・地球60周もの距離を航海し、頑張ってくれました。
老朽化に伴い、2016年(平成28年)6月を持ってバトンを3代目に託し引退。
その後、ニウエ船籍のOGASAに改名され、船舶解体所が多い船の墓場、インドのアランへ向かった事から解体がささやかれましたが、インドのクルーズ船ANGRIYAに生まれ変わりました。
ANGRIYA (英語)

2代目おがさわら丸のパンフレットです。

2016年(平成28年)7月1日朝日新聞の掲載記事。
小笠原航路を支えた、2代目おがさわら丸の京極船長。
2代目おがさわら丸引退と共にご勇退なされました。

幻の定期船で終わったスーパーライナーオガサワラ。
旧運輸省の主導で完成した大型高速船です。
2代目おがさわら丸が就航中で東京-父島を25時間20分で結んでいたところを16時間に短縮するスピードを売りに、2005年11月に就航予定だったのですが、燃油高騰により国や都は支援撤退を表明。
年間20億円の赤字が見込まれることから、運航を行う小笠原海運は支援がないと会社が半年で倒産してしまうと、就航直前の2005年6月に就航は見送られました。

2025年(令和7年)現在、小笠原へのアクセスは週1便の定期船のみです。
1937年(昭和12年)に羽田-父島-サイパン-ヤップ-パラオを結び貨物を輸送する大型飛行艇が月1便就航した過去がありましたが、航空路の開設には至っていません。
空港建設の会議は幾度か行われており、1995年(平成17年)2月の第27回会議において都営小笠原空港の建設地を兄島とし、父島とのアクセスをロープウェイにすることが決定。
50年誌ではここで終わっていますが、その後、自然環境への影響が大きいとして撤回され、2022年現在、かつて大日本帝国海軍飛行場があった父島の洲崎地区で建設に向けた調査を東京都が行っているそうです。

2代目の後継船、3代目.おがさわら丸(11,035t)が、2016年(平成28年)7月2日に就航。
2025年現在、今のおがさわら丸です。
2代目おがさわら丸より1.6倍大型化され、1万トン級になったおがさわら丸。
離島航路最大級の定期船で、所要時間も24時間に短縮されました。

引退した京極船長から2代目おがさわら丸船長を引き継いだ高橋船長が3代目おがさわら丸船長に就任。
小笠原への旅客と貨物の輸送に貢献されております。
朝食

朝食です。
船内売店の挽きたて珈琲。
パンは、竹芝桟橋近くのファミリーマート南山堂竹芝駅前店で仕入れておきました。
■たっぶりクリームデニッシュ‥125円
■もちっと食感の北海道メロンパン‥130円
■季節限定スペシャルコーヒー(ルワンダ フイエ マチアゾ)‥250円

デザートは、小島屋乳業製菓の牛乳もなかアイス。
船内売店で販売中。
■牛乳もなか‥200円
小笠原の海域に入るおが丸

9:35
東京竹芝から20時間35分。
おがさわら丸は航海速力24ノット(45km/h)で航行中。
父島まで残り69kmです。

おがさわら丸は南へ南へと航海しています。
潮流が早くて航跡が定まっていません。

9:40
レクチャーが始まりました。
聟島列島の案内や海鳥の生態などについて、船から実際に見て説明を聞きます。
聟島列島

10:10
東京竹芝から23時間10分‥
あっ!
あれは‥

ズームしてみましょう。
島です!
陸地が見えてきましたよ。
小笠原諸島の玄関口、聟島列島です。
左の島は聟島(ケータ島)。
右は針ノ岩です。

10:14
聟島列島の最南端、嫁島です。
父島の北、約50kmの位置にある無人島で、かつては住民が暮らしていたそうです。
父島列島

10:47
父島列島が見えてきました。
父島列島は、孫島・弟島・兄島・東島・西島・父島・南島から成り、周辺海域を含め世界遺産に認定されています。

10:52
東京竹芝から23時間52分。
弟島の沖を航行中。
父島まで残り13kmです。
定刻の到着時刻は11:00なんだけど、18分ほど遅れたままですね。

んっ?
あれは、弟島か?
それとも、兄島か?
島がたくさんあって、わからなくなってきたよ。

断崖絶壁.秘境感たっぷりですね。
まさに東洋のガラパゴスだよ。
ここは‥

ウェザーステーションが見えてきた。
ついにやって来ました。
目的地の父島です。
着岸の儀(単に眺めるだけ)

東京竹芝から24時間。
着岸する二見港が見えてきて‥

二見湾に入りました。

湾内で、大きな船体を左へ180度回頭。
二見桟橋へ前進でアプローチします。

着岸地点が至近距離に入りました。
右の白い船は‥

父島と母島を結ぶ伊豆諸島開発/ははじま丸(453t)です。
出迎えてくれているように見えますね。
おがさわら丸入港日は、ははじま丸が接続するので母島へ行くことができるんです。

最終の着岸態勢に入り‥

ホーサーがビットにつながれました。
・ホーサー‥係留用ロープ
・ビット‥係留用鉄杭

あぁ~
楽しい船旅が終わっちゃうよ~

11:16
東京竹芝桟橋から24時間16分。
着岸完了!
パチパチパチパチ‥

11:36
下船は上級船客からクラス順となります。
名残惜しいですが、下船しましょう。

上陸しました。
こうして振り返ると、あっという間の24時間でしたね。

宿の方が港に迎えに来てくれました。
境浦ファミリー。
これから3泊お世話になります。
境浦ファミリーの宿泊記は、☝コチラ。

24時間の航海を終えたおがさわら丸。
我々と同じく船も3泊します。
=関連リンク=
・小笠原海運
・小笠原協会
・ファミリーマート南山堂竹芝駅前店
・小島屋乳業製菓
・明治丸海事ミュージアム
・ANGRIYA (英語)
・伊豆諸島開発
・境浦ファミリー
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【船旅】小笠原海運/おがさわら丸(東京→父島) 往路前編
【船旅】小笠原海運/おがさわら丸乗船記 船内編
【宿泊】南の島の一軒宿/境浦ファミリー (東京都小笠原村)
ご覧下さいまして誠にありがとうございました。




