【船旅】青函航路の歴史を今に伝える「函館市青函連絡船記念館摩周丸」見学乗船記

■0195・2022年9月5-9日.北海道函館4泊5日-8

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本州青森と北海道函館をつなぐ青函航路。
青函トンネル開通と共に惜しくも廃止となった青函連絡船ですが、終航まで活躍した摩周丸がその歴史を伝えようと、今も記念館として函館港に係留されております。

それでは、函館市青函連絡船記念館摩周丸を見学してみましょう。

※記事中[拡大]または◎を記している画像は、クリック・ドラッグすると拡大します。

は~るばる来たぜ~ 函館~♪
北海道函館に滞在中です。

函館駅にやって来ました。
この駅舎は、JR北海道が提携しているデンマーク国鉄との共同作業によりデザインされ、新日鐵住金TranTixxiiチタンのパネルが特徴的な外周の壁面は、海岸沿いの腐食環境にあっても、美観が維持されております。

青函連絡船/摩周丸

=青函連絡船/摩周丸=
青函連絡船は青函トンネルが開通し、1988年(昭和63年)3月13日に津軽海峡線が開業する事から、惜しまれつつも82年間の歴史に幕を閉じました。
今は、函館市青函連絡船記念館摩周丸として、函館港に係留されています。

= 摩周丸 =
船種‥車載客船
船籍‥日本/函館
運用者‥北海道旅客鉄道
総トン数‥5,363t
全長‥132m
全幅‥17.9m m
建造所‥三菱重工神戸造船所
就航‥昭和40年6月30日
終航‥昭和63年3月13日

青函連絡船.摩周丸の船尾です。
船尾扉は洞爺丸転覆事故を教訓につけられました。

=可動橋=
岸壁と船の間、貨車を積み込むための橋です。
大正14年5月20日の竣工で、同年8月1日から正式に車両航送が開始されました。
この可動橋は、摩周丸および青森の可動橋・八甲田丸とともに、平成23年8月7日、日本機械学会の機械遺産に認定されています。

あっ!
大きなサギがいますね。

函館市青函連絡船記念館 摩周丸

只今より摩周丸を見学します。
いざ、入場。

函館市青函連絡船記念館摩周丸の位置は、☝コチラ。

年間券(1,000円)を購入。
これで1年間、摩周丸を見学できます。

受付と売店のある建物には、かつて、摩周丸船内にあった’サロン海峡’で使われていたソファが置かれていて、座ることができます。

ここから妄想タイム。

12時10分出航の摩周丸は只今改札中。
第1乗船口に向かいます。

摩周丸が係留されている場所は、かつて青函連絡船が発着していた’函館第二岸壁’です。
当時と同じ位置にタラップが架けられています。

では、乗船しましょう。

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=摩周丸船内=
館内は展示施設として改造されていて、現役時代とは異なります。
船内展示区画は、2F(船楼甲板)・3F(遊歩甲板)・4F(航海甲板)の3層です。

館内・2F(船楼甲板)

=2F(船楼甲板)=
乗船すると、出入口広場と呼ばれるエントランスホールです。
この階には、かつて、普通船室・案内所・売店・食堂・公衆電話・郵便ポストがありました。

現在、2Fの大半の区画は閉鎖されていて、出入口広場のメモリアルシップ摩周丸・機械遺産認定証のモニュメントが見学者を出迎えます。

出入口広場には、かつて、ファンネルにかかげられていた「JNR/日本国有鉄道」のマークと、青函連絡船の最後の1年間はJR北海道の管轄となったので、「JR/北海道旅客鉄道(株)」のマークが展示されています。
しかし、残念ながら、このファンネルマークは他船のもので、摩周丸のものは残っていないそうです。

手前は補助汽船(タグボート)で使用されていたアンカー(錨)です。
摩周丸や他の船舶(津軽丸型)は、このJIS型を改良した’国鉄型’と呼ばれる独自の錨を使用していたそうです。

摩周丸は三菱重工神戸造船所において第955番船として昭和40年(1965年)に建造されました。

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これは、現役時代の客室案内図です。

現役時代の2F(船楼甲板)にあった、船内設備をパネルで見てみましょう。

=売店=
乗船してすぐの出入口広場にありました。
駅の売店(キヨスク)と同じく、弁当・飲み物・新聞・書籍・雑誌・菓子類・おつまみ類・お土産・記念品のほか、みそ汁やアイスクリームなども販売していました。

売店の近くには、案内所・公衆電話・郵便ポストがあったそうです。

=食堂=
船内のほぼ中央、右舷側にありました。
カウンター席10・テーブル席40の食堂では、イカ刺し定食をはじめとした各種定食・ラーメン・カレーライス・スパゲティ、その船舶だけの特別メニューもありました。

厨房では乗客だけでなく、乗組員の食事も調理していたのですよ。

=普通座席=
青函連絡船では、座敷を座席と呼んでいました。
船旅の基本ともいえる、大部屋雑魚寝の普通船室です。
右舷後部の普通座席をモデルにして、4Fに復元しております。

=普通椅子席=
青函連絡船では、座席のことを椅子席と呼んでいました。
普通椅子席は当時の特急列車普通席に順じた、回転とリクライニング不能の椅子席を配置。
現役時代は2Fにありましたが、引退後は3Fに移設されました。

ちなみに普通乗船運賃は、1,500円だったそうです。

出入口広場からの階段を上がって、3F(遊歩甲板)にいきましょう。

館内・3F(遊歩甲板)

3F(遊歩甲板)です。

=案内所=
青函連絡船記念館摩周丸となってからの案内所です。
現役時代の案内所は、2F(船楼甲板)出入口広場にありました。

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=青函連絡船のあゆみ=
青函連絡船の歴史をパネルで解説しています。
歴代青函連絡船の模型もあります。

=比羅夫丸=
明治41年3月7日、国鉄青函連絡船はイギリスで建造されたタービン船、比羅夫丸(1480t)と僚船/田村丸の就航で始まり青森-函館間を4~5時間で結びました。

比羅夫丸型の船室は、1等・2等・3等と3等級あり、1等と2等には等級別の食堂と風呂がありました。
就航当時、連絡船が接岸できる桟橋はまだなく、小蒸気船や艀で乗り移っていたのですが、1等・2等客はタラップに艀をつないで確実な乗船ができた傍ら、3等客は船の側面の乗船口から飛び乗る方式で、風浪が強い日などは命がけの乗下船だったんだとか‥

=摩周丸=
明治41年、青函連絡船初の比羅夫丸就航から57年‥
津軽丸型第5番船となる2代目.摩周丸が昭和40年6月30日に就航。
昭和63年3月13日の終航までの23年間活躍し、青函連絡船最後の船団の一隻となりました。

=グリーン指定椅子席=
ここでは、1+1 1で横に座席が並んでいますが、現役時代は1人掛けで各席が離れた独立配置になっており、65度傾斜する座席は楽に眠ることが可能です。

後の夜行列車や夜行バスに採用された「ドリームシート」の先駆となるもので、グリーン指定席料金は1,600円でした。

青函連絡船や昭和の特急/急行列車のグリーン車には、肘掛けにも白いカバーがまかれ、高級感を醸し出していましたね。

足元広~い。

=グリーン自由椅子席=
グリーン船室自由席は、2人掛けリクライニングシートを装備。
グリーン自由席料金は1,100円でした。

※画像は、青森/八甲田丸のものです。

=グリーン自由席座席=
普通座席と大差ありませんが、1区画の定員が少なくとられていました。
今の摩周丸では3F後方に現役時代のまま残されていますが、内部には入れず甲板から窓越しに見学することができます。

連絡船自由席グリーン券。
終航間近の昭和63年3月6日発行のもので、緑色の硬券でした。

=喫茶室=
昭和53年、利用者が減少していた後部グリーン船室の椅子席を一部撤去して設けられました。
カウンター席4・テーブル席16あり、ソファはフカフカで、室内の雰囲気も当時としては豪華だったようです。

=寝台室=
津軽丸型連絡船の航行時間は3時間50分に短縮されたので寝台室廃止が検討されましたが、深夜便の運航があったので、廃止にはなりませんでした。

2段ベッド4名定員の寝台室は5室あり、各部屋にはソファ・テーブルを設置。
寝台料金はベッド単位で上下段共に2,400円 でした。

=飾り毛布=
昔、毛布を折って鶴や蛙などにみたてた飾り毛布で船客をもてなしました。
これは「大輪」と呼ばれる飾り毛布で、青函連絡船/菊池精一.元船客長の手による、当時のベッドメイキングを再現したものだそうです。

展示されている毛布や’カウンターベン’と呼ばれるベッドカバーは、運航当時、実際に使われていたもので、毛布の中央には JNR(日本国有鉄道) のマークが入っています。

=船長室=
操舵室下の角の位置にありました。
応接間に仮眠用ベッドも置かれていて立派です。
やはり、大きな船を統括する船長は偉かったんですね。

操舵室の下、元々船長・航海士室だった区画は、現在3階サロンとなりました。
窓が大きく改造されたので、現役時代とは少し雰囲気が変わっています。

青函連絡船や船舶・鉄道に関する書籍コーナー。
こりや、一日いても飽きないな。

=青函連絡船映像ライブラリー=
全部見ると、6時間20分かかったのですが‥
機械が寿命を迎えてしまったとのことで、1本だけになっちゃいました。

ビデオの視聴記事は、☟コチラ。

=洞爺丸=
昭和22年11月21日に就航した洞爺丸(3,898t)。
戦災で壊滅した青函連絡船の復興のため、当時の国鉄であった運輸省鉄道総局がGHQの許可を得て建造した車載客船4隻の第1船として就航。

昭和29年9月26日、洞爺丸台風による暴風と高波で転覆・沈没。
死者・行方不明者あわせて1,155名!
日本海難史上かつてない海難事故を起こした悲劇の船として、歴史に名を残すことになりました。

=乗組員制服=
青函連絡船に従事していた乗組員の制服が展示されていました。
右端が船長(夏服)です。
中央のマリンガールがひときわ目立ちますね。

=徒歩甲板=
出航時、別れのワルツ(蛍の光)が流れ、多くの方が、別れを惜しみました。

=遊歩甲板自動車搭載区画=
自動車航送開始当初は、プロムナードデッキ後部に6台の乗用車を搭載し、昭和46年からはデッキを拡張して12台積むようになりました。

「あなたの愛車は豪華で安全な国鉄連絡船で!!」
鉄道連絡船として有名な青函連絡船ですが、民間の自動車フェリーに対抗して、昭和42年から自動車航送(乗用車のみ)を行いました。

乗用車の航送料金は‥
車の長さ3mまでが9,700円。
4mまでが12,900円。
5mまでが16,200円。
5mをこえ5.3mまでが21,100円でした。
航送料金には運転する人1名の運賃が含まれております。

また、自動車以外で、自転車は700円。
オートバイ&スクーターは125cc以下が1,100円・125cc超は2,200円で、いずれも乗船者の運賃別であったそうです。

青函連絡船の各船舶には、イルカ+各船舶独自のデザインによるシンボルマークが掲げられました。
摩周丸は、摩周湖+イルカです。

=船のしくみ展示室=
青函連絡船の構造やしくみ(システム)を模型や映像で解説しています。

青函連絡船の模型。
手前は、現在青森に係留してある八甲田丸。

奥は、沈没した洞爺丸の後継船として建造され、昭和32年10月1日に就航した十和田丸(初代)です。
就航から10年後の昭和41年10月1日をもって十和田丸としての運航を終了。
十和田丸の名は建造中の津軽丸型新造船が継承する為、石狩丸(2代)と改称され改造後、昭和52年まで旅客扱いを行わない車両渡船として活躍しました。

4F(航海甲板)に上がってみましょう。

館内・4F(航海甲板)

=無線通信室=
当時のまま残っております。
通信士席に座って、モールス信号の体験(打鍵)もできるんです。

乗組員様休憩用席。
座席が国鉄車両チックですね。

気象記録簿。
航海時の気象は全て記録されていました。

見てみると‥
年は不明ですが、冬期1月9日の記録。
15:00に荒天警戒部署発令と記され、19:00に5mの波を記録しています。
冬の津軽海峡の厳しさを物語っていますね。

=操舵室(船橋)=
操舵室は、船橋(センキョウ)と言い、操船に関する指揮所です。
また、英語の”Bridge”から日本語でも「ブリッジ」と呼ばれることがあります。

操舵室の中央に立ってみましょう。
青函連絡船では、ここが船長の定位置だったようです。

=青函航路主要通過地点時刻表=
一般向けの青函連絡船の時刻表は、青森・函館の発着時間しか記されませんが、船は定点通過時刻に基づいて運航されていました。

=コンパス甲板=
操舵室の屋根上にあたる甲板です。
方位を測る磁石(磁気羅針盤)が設置されていることから、コンパス甲板と呼ばれています。

建物の5階に相当するコンパス甲板からは、函館港と函館山が一望!
この素晴らしい景色は「はこだてロマンティック・ビュー」と、音楽評論家の湯川れい子さんが命名されました。

=多目的ホール=
普通座席(復元)やキッズコーナー、イベントなどを行うホールです。
現役時代の摩周丸の船内設備などをパネルで紹介するコーナーもあります。

パネルを見てみましょう。

=総括制御室=
船の主機械・補助機械・発電機など、全ての機械類の運転操作、運転状況の監視などを司る部屋で、船の心臓部と言えます。

船底にありますが、空調完備で明るく静かです。
昔の機械室・缶室と比較すると、職場環境は著しく改善されました。

=機関室(エンジン室)=
大きいエンジンですね。
摩周丸には、1台1,600馬力のディーゼル機関を8台備え、総出力は12,800馬力ありました。

=車両甲板=
船に鉄道車両をそのまま搭載できた鉄道連絡船。
48両の貨車を搭載できたのですよ。

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昭和57年11月15日改正の時刻表。
青森→函館→北海道各地への乗換案内が掲載されています。

連絡船から下記特急列車が接続していました。
・特急.北斗(函館-札幌/室蘭本線経由)
・特急.北海(函館-札幌/函館本線経由)
・特急.おおぞら(函館-釧路)
・特急.おおとり(函館-網走)

今は車内販売すら消滅してしまっていますが‥
この当時、道内の特急列車には食堂車があったのですよ。

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こちらは、函館→青森→上野への乗換案内。

東北新幹線(盛岡-大宮)が昭和57年6月23日に開業したばかりで‥
・特急.はつかり(青森-盛岡)
・東北新幹線.やまびこ(盛岡-大宮)
・新幹線リレー号(大宮-上野)
~と、乗継で6時間47分ほどになっています。

また、在来線(羽越本線)経由の特急.鳥海(青森-上野)だと10時間ほどかかりました。

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この当時だと、夜行列車も健在で‥
・寝台特急.ゆうづる(青森-上野/常磐線経由)
・寝台特急.はくつる(青森-上野/東北線経由)
・寝台特急.あけぼの(青森-上野/奥羽線経由)
・急行.津軽(青森-上野/奥羽線経由)
・急行.十和田(青森-上野/常磐線経由)
・急行.八甲田(青森-上野/東北線経由)
~と、多種多彩の列車がありました。

また‥
・寝台特急.日本海(青森-大阪/羽越.北陸線経由)
関西方面の夜行列車もあったのですね。

これだけ走っていた夜行列車ですが、今は全て消滅してもうありません。

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函館から主な駅への運賃/料金。
函館→東京(連絡船+特急+東北新幹線乗継)で、14,700円でした。

ちなみに、2022年8月現在の函館→東京(北海道/東北新幹線)で、24,160円です。

=可変ピッチスクリュープロペラとアンカーチェーン=
共に摩周丸に取り付けられていた実物が航海甲板に展示されています。
スクリュープロペラは、直径3.5mほど。
津軽丸型連絡船(摩周丸)は2軸の可変ピッチプロペラを備えていて、回転数は一定のまま、推力や進行方向、前後進を変えることができました。

見学終了。
名残惜しいですが、下船しましょう。

青函連絡船は廃止されましたが、摩周丸はその歴史を今も伝えています。

=まとめ=
本州から北海道への架け橋として昭和63年まで運航した青函連絡船。
最終船団の一隻だった摩周丸が函館第二岸壁に係留され、記念館として今もその歴史を伝えています。

一般的に見学時間は1時間程度と言ったところですが、船好きの方やビデオライブラリーを全て見るとそれでは時間が足りません。
ちなみに、筆者は2時間以上いました。(笑)

ご覧下さいまして、誠にありがとうございました。